公論サポータ 関西支部の基礎医学研究者でございます。
ここまで、「よしりん独演会」のために、小林よしのり先生の魅力を何とか伝えるための作品紹介を行ってきました。1つは、私たち関西支部のX告知で、もう1つは中四国支部とコラボのこの連載で。
本日は、第5回目(最終回)!(超個人的ですが(^_-)-☆)
今回の作品は…
ずばり、自分が読んだ短編作品!
実は自分、意外に小林よしりの先生のメジャー作品を読んでいなかったのですよね。「ゴーマニズム宣言」の連載が始まるまでに、「東大一直線/快進撃」や「おぼっちゃまくん」などは読んだことがありませんでした(そもそも、週刊少年マガジン以前にじっくり取り組んだ週刊漫画雑誌はなく、単行本が多かったと思います)。
今思うと、小林先生の連載と自分が読んでいる漫画雑誌は、結構ズれていることが多かったですね。例えば、東大一直線(1976年)のときには、「週刊少年ジャンプ」の存在自体を知りませんでした。そのときは(週刊漫画雑誌は)、水島新司の「ドカベン」や古賀新一の「エコエコアザラク」が掲載されていた「週刊少年チャンピオン」くらいしか知らなかった(しかも、耳鼻科に通院していたときにラックにあったものを読んでいたような感じ)。また、おぼっちゃまくん(1986年)のときには、すでに「コロコロコミック」を読む世代では、ありませんでした(小学生の頃、「コロコロコミック」を友達から見せてもらったときに自分の目に触れたのは、すがやみつるの「ゲームセンター嵐(アーケードゲームに命をかける少年”嵐”が、必殺技を駆使してライバルたちと戦う漫画)」、のむらしんぼの「とどろけ!一番(中学受験に命をかける少年”一番”が、必殺技を駆使してライバルたちと戦う漫画」、および「藤子不二雄物語 ハムサラダくん」くらいですかね)。
ただ、自分、「少年ジャンプ」とは関わりがあるにはありました。小学校の高学年のときに、同じクラスにイギリス人と日本人のハーフの同級生がいたのですが、実はその彼が住むマンションに、小林先生のライバル、江口寿史の仕事場があり、ご近所づきあいがあったらしいのです(彼のお母さんはイギリス人でした(ただし、日本語はペラペラでしたが(^_^)。確か、ある時、仕事場に一緒にあいさつしにいった記憶がありまして、黒いグラサンかけた本人が出てきたと思います。そのとき彼は原画をもらったのですが、それは当時まあまあヒットしていた「ストップ!! ひばりくん!」の原画で、「本物はスゲー」という感覚があったことを、子供心に覚えています(7/23に開催された、公論イベントSpecial「愛子さまを皇太子に」における小林先生作品の原画展も、スゴイ迫力でした)。
すみません、前置きが長くなりました。
小林先生の本領発揮は、やはり短編!
これは、個人的な意見ですが、構成力のある漫画家って、短編できっちり話をまとめられるのですよね。たとえば、手塚治虫の「ブラックジャック」は、基本1話20ページ程度であれだけ密度の濃い作品として残りました(単にブラックジャックやスターシステムの魅力的なキャラだけの問題ではない、と自分は思います)。逆に、これは自分が「少年ジャンプ」を購読するのを止めた理由の一つですが、当時連載が始まった「ワンピース」や「NARUTO」を読んでいたときに、1話1話が“流して進んでいる”感じがして、ちょっと読まなくなるともうついていけない、ということがありました。一方、小林先生の場合は、1話1話が濃密なので、どこで切り取ってもおもしろい!というのが、率直な感覚(これは、もしかしたら、ギャグ漫画家が実践の場で鍛えられてそうなるのかもしれませんが、小林先生の盟友、秋本治の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」と似ているところがある、と自分は思います)。これは、間違いなく後の「ゴーマニズム宣言」が8ページであれだけの内容を構成出来る土台になっている、と私見では思います。
さて…1つは、「うしろの中岡くん(1985年)」
この作品は、偶然雑誌をどこかで見たときに遭遇したのですが、正直、インパクトはものすごかった。自分、ホラー・恐怖漫画は結構好きで、つのだじろうの「亡霊学級」「恐怖新聞」および「うしろの百太郎」は愛読していました。なので、心霊現象や超能力などは、もしかしたらあるのかな~と思っていた口です(;^_^A)。でも、小林先生はまったくそうは考えていなかったようで、世の中に出てくる0能力(霊能力)や小能力(超能力)など、こんなものだ~!という感じで、当時、心霊研究家で心霊写真の解説者としてテレビによく出ていた中岡俊哉を背後霊の一族として登場させ、取り憑かれる相手が自分には「恐怖新聞」の鬼形礼くんのような人物をパロディーにしてしまったところが、ビビりましたね。実際、「あなたの知らない世界」などの心霊番組や、つのだじろうの漫画の世界は、けっこうシリアスなのです。特に、「恐怖新聞」の鬼形礼くんなんかは、1回読んだら100日寿命縮まる、という恐怖新聞を読まされ、霊に悩まされ、そして除霊に失敗して(主人公であるにもかかわらず)死ぬという数奇な運命をたどった中学生なだけに、まさかこんな女の子好きの軽いキャラで、へんな形で除霊とかされるというのは…いや、笑かせていただきました。
もう1つは、「吠えろ純愛(1985年)」
この作品も、偶然雑誌をどこかで見たときに遭遇したのですが、正直、こちらのインパクトも、ものすごかった。まさに、愛は狂気!「よしりん独演会」のために改めて読み返すと、図に示したようなシーンは、ちょうど「少年サンデー」に連載されていたやまさき拓味と小池一夫の『ズウ~青春動物園』に近いイメージがあるのですが、実際の場面とセリフのズレがものすごくて、純愛モノも小林先生の手にかかると、ギャグになってしまのか~しかも、これを美男・美女にやらせてしまうところがすごく、2000年くらに大ヒットした「TRICK」のようなノリを先取りしているような気が、自分にはしましたね。しかし、あえていいますが、自分、この作品にはものすごい可能性を感じました。それが、このシーンです。
目がガラス玉のようになり、恐怖の表情にゆがむ美女。楳図かずお(「おろち」や「恐怖」など)や古賀新一(「エコエコアザラク」が代表作)に匹敵するような(描きこみの)衝撃を感じましたね。シンプルに、
「小林先生に、ホラー・恐怖漫画を描かせたら、すごい大作が生まれるかも?」
と、思ったわけです。考えてみると、“ホラーとギャグ”は表現として表裏一体のところがあり、小林先生とは逆ですが、楳図かずおは「まことちゃん」でギャグを表現してきました(個人的には好みではなかったが、あのホラー漫画の絵柄をそのままギャグ漫画に持ち込んでしまったのは、当時、度肝を抜かれたものです(;^_^A)。一方、小林先生は、基本ギャグ漫画家ですが、今回の連載で紹介している自分の狭い小林先生の作品読書体験からも、小林先生の場合おそらくは、表現したいものが“ギャグ”の中にあったために、一先ず“ギャグ漫画”というジャンルを選択したのだと思います。しかし、実際に作品を出し続けていくうちに、それが「社会問題」ということになれば、「ゴーマニズム宣言」ということになるのだと、私見では思います(「手法」や「思考」はけっして固定されているわけではなく、アップデートされていく様子は、関西支部のX告知の紹介を見ていても思います)。
そして、現在
小林先生がこれまで手掛けてこなかった、ホラーストーリ作品「夫婦の絆」が連載されています(ストーリー作品という意味では、「卑怯者の島」が最初ではあるのですが)。これについては、ここでは論じませんが(代わりに関西支部だふねさんの素晴らしい感想をどうぞ)、自分にとっては、小林よしのりマンガファンとしての念願がかなってよかった~(≧▽≦)
しかし、1つだけ言えるのは、小林先生が恐怖だけを前面に出して、訳の分からない、おどろおどろしい作品を創るはずは、ありません。そこには、
「“狂気の友情”を描いた果てに到達する、人間賛歌が・・・」「描いた果てに到達する、人間賛歌が・・・」「人間賛歌が・・・」「歌が・・・」「・・・」
以上、5回にわたり、自分が「ゴーマニズム宣言」に出会う前に読んできた、作品を紹介しました。ここまで、お付き合いいただき、ありがとうございました<(_ _)>。また、今回中四国支部のHPで紹介する機会を与えていただきました、中四国支部隊長のしろくまさんに感謝致します。
それでは、10/7、大阪で開催される「よしりん独演会」、共に楽しみましょう(^^)/
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