公論サポーター中四国支部しろくまです。

 

9月12日(日)に100回目の開催を迎えた東海ゴー宣道場。

 

当日は、岡山でライブビューイングで中継に参加させていただきました。

なかなかオシャレなミーティングルームです。

 

 

記念すべきゴー宣道場100回目開催!

テーマは「常識の逆襲」の議論から、ゲストの中川淳一郎氏の話から改めて常識とは?

それが今どうなってるか?社会全体があまりにも正常に機能してるとはいえない状態です。

コロナ感染対策について、過剰なまでの対策にそれはおかしいのでは?

 

それに疑問を持つことも抑えられてしまって、ただ、みんながやってるから、

同調圧力によって、皆に合わせるように従い、個人の判断も決断もできない。

 

多くの人はその正しいと思っている「常識」が、本当にバランスが取れているのか?

緊急事態宣言が出されると、お店も施設も個人もそれに従う、

それが本当に効果があるのかさえ考えない。

誰もかれもが、自分自身の考えがすっぽりと抜けてるように思います。

 

私がボランティアをしている美術館も臨時休館になりました。

こういう時こそ、本来なら開けて多くの人に鑑賞してもらうことが、

美術館としての本来の意義と、公としての文化的な役割があると思います。

 

議論を聞いたあと、色々と考えている内に頭に浮かんだのは

なぜか画家のゴッホでした。

 

美術館で初めてゴッホの作品を見た時は、強烈なインパクトがありました。

本物の作品を見るまでは、どうしてあんなに高値で取引されるんだろうと

ゴッホの作品にそんなに興味はありませんでした。

 

目の前で実際に作品を見て、印象が変わりました。

他の同時代の画家とは何かが違う、群を抜いて力強さがあり他とは別格でした。

気か付いたらその絵のまわりにだけ人だかりができていました。

なぜゴッホは人気があるのか、その理由が何となくわかりました。

 

激しい筆致の奥底に、「憤り」「哀しみ」を感じました。

それと、ゴッホの強い「個人」「独創性」がありました。

 

愚直で、ストレートに強烈に自分を放ち、決して誰にも媚びることもない、

ただ、自分のありのままを表現している。それが痛いほど感じました。

 

作品を見た時「これがなぜいけないんだ!これが何が悪い!これが自分だ!」

絵から強い訴えのようなものを受けました。

生涯、自分の絵にこだわり続けたゴッホの哀しみと憤りを感じました。

 

不器用なまでに愚直で、自分を持ち続け、

世間で良しとする方に自分を変えることができなかった人、

鑑賞する人は、それを何らか受け取り、

理屈抜きでゴッホの絵は素晴らしいと感じとっていたのでは。

 

でも当時の時代では、サロン品評会や、一般人からの評価を得ることと、

その当時の流行に合わせることが「常識」であって、

それに合わせなければ絵は誰からも評価はされなかった。

 

ゴッホにはそれができなかった。一枚も絵が売れなかった。

愚直に自分をストレートに表す表現は、

当時の時代ではそれが「常識」では無かったから。

 

こんなに時代が経っても、評価されるのは、

そのまま、ありのままを表しているから。

 

だからどんなに時代が変わっても、流行に関係なく、

いつまでも多くの人たちを魅了し続けるのは、

誰にもない自分だけの表現にこだわったオリジナリティ、

「独創性」が高く評価されているから。

 

当時の流行、一般的に「常識」といわれていたことに対し、

それに合わせて、オリジナリティを無くすのでなく、

自分というものを守るために抗い、

憤りと哀しみの中で徹底的に戦い守り続けた。

 

それが今、私たちに欠けているもの、足りないものではないかと思いました。

 

常識のテーマの議論で、立派な権威のある者や専門家、マスコミ、大衆をみて、

まるで現代のサロン品評会のようで、ルールを守ったものが善で、

それによって評価され、自ら社会を分断する方へ進んでいる。

 

誰かに合わせるのではなく、誰かの真似でもない、

自分だけのオリジナリティを大事にしないといけないのではと思いました。

 

私一人では微々たる力しかないけど、

全国から応援に駆け付けてくださる門下生の皆さまと力を合わせて、

10月10日の中四国ゴー宣道場開催に向けて精一杯取り組んでまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

最後まで読んでいただき有り難うございました。