DOJOサポーター中四国支部、コチャコです。
ゴールデンウイークも終わり、いよいよ「ゴー宣DOJO in 関西」が近づいてきました。
5月25日㈯ 1日目は「週刊文春を糾弾せよ!」
5月26日㈰ 2日目は「女性活躍とは何か?」
初めてのゴー宣DOJO 2日連続開催。楽しみですね!
さて、「大東亜論」の感想の続きです。
今回は「大東亜論」の主要登場人物であり、江戸時代末から明治時代にかけて
女性儒学者で眼科医、教育者として活躍した高場乱(たかば おさむ)について
書きたいと思います。「女性活躍とは何か?」に繋がるものもありそうです。
(以下『大東亜論第二部 愛国志士、決起ス』を参考に高場乱の生い立ちについて述べます。)
高場乱は天保2年(1831年)、福岡藩博多瓦町に200年の伝統を持つ眼科医の末娘として生まれました。
乱の父は長男に秋月藩医として仕える道を選ばせる一方で、家業の高場流眼科を継がせる為、
末娘の乱を男として育てることにします。(多くの方が○○ばらのオス○○様を連想しますね)。
しかし、乱が16歳の時、後悔したのか、父は
「女に戻って婿を取れ!」と命じます。(このくだりも○○ばらのエピソードにそっくり!)
乱は小柄であまり丈夫ではなかったらしく、それも理由にあったのかもしれないですね。
しかし乱の学問への情熱と才能は当時の武家女性の生き方に馴染める器ではなく、
あっという間に婿養子を離縁して自分の意志で男として生きることを選びました。
既に乱は10歳の時、福岡藩から帯刀の許可を得ており、その才気のほどが伺い知れます。
例外とはいえ、江戸時代の武家社会にこのような寛容さもあったのかと驚きました。
家業の眼科医も勤めつつ、学問にも精進した乱は身に着けた漢学を若者に教える為
25歳の時、塾を開きます。これが後に玄洋社の自由民権運動の志士達を生み出すことになる
「興志塾」通称「人参畑塾」となるのです。
「大東亜論」では教育者としての乱の様子がこのように描かれています。
ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論第二部 愛国志士、決起ス 電子書籍版 上巻より
一筋縄ではいかない癖の強い男たちを圧倒する迫力と女性らしい気配りを併せ持ち、
教育者として天性の才能を持っていたのが分かります。
人が成長するためには、親など肉親の愛情だけでなく、
生き方にまで影響を与える教育者の存在は大きいですね。
乱は自分の使命を全うするために当時の男としての姿を徹底して貫きました。
生涯日常生活においても私欲を持たず、質素倹約を厳しく自身に課しました。
男達に隙を見せないため、緊張感を維持し続ける必要があったのでしょう。
ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論第二部 愛国志士、決起ス 電子書籍版 上巻より
一方で自分の教育で天分を伸ばしていく教え子の成長に生きがいも見出したことでしょう。
だからこそ、明治維新の混迷の中、福岡の変で教え子の越智彦四郎、武部小四郎が処刑され、
頭山満と対立した箱田六輔が自刃し、来島恒喜が大隈重信殺害未遂で自刃という中で
乱が見せたのは死に急ぐ教え子たちの命を惜しむゆえの深い怒りと哀しみの感情でした。
乱にとって彼らは我が子のような存在でもあったのでしょう。乱のそんな母性的側面が
一層志士たちの敬慕の念を強くしたことは間違いないと思います。
高場乱と「大東亜論」の主人公、頭山満は親子ほど年の差があります。
頭山満の「男としての信念」と高場乱の母性的側面がぶつかり合う
数々のシーンも心を打たれます。
そして、「大東亜論」を読むと、時代の流れや権力と戦うことが
どんなに困難で厳しいものか、改めて考えずにはいられません。
晩年の乱の詠んだ歌には哀しみに溢れています。
ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論第三部 明治日本を作った男達 電子書籍版 下巻より
本物の教育者は、自分の影響を受けた教え子の行く末まで案じ、受け止めなくてはならない
宿命を負っているのかもしれません。激動の時代に人生を教育にささげた人間なら尚更。
高場乱の最期は「大東亜論第三部 明治日本を作った男たち」に描かれています。
小林よしのり先生が描いたこの場面は涙なしには読めない、感動的な描写になっています。
未読の方はぜひ読んでみてくださいね。