ランランさんのブログです。
阿吽の呼吸で陛下を支えた、 阿南惟幾氏(1887年〜1945年)と鈴木貫太郎氏(1868年〜1948年)をご紹介します。(鈴木貫太郎氏その7※改めてご紹介その③)
諸外国が火薬臭くなる中、日本でも貧困、政治の腐敗、外国とのやり取りでジレンマに陥る若い将校たちの心に、軍閥のお偉いさんが火をつけ、爆発させた2.26事件が発生します。
火をつけた軍閥のお偉いさんは、自分の支持を高めようと若い将校たちを焚きつけますが、なんだかんだと不祥事などして若い将校たちを失望させたりし、”もう貴様らに任せておけん!”と若い将校たちがお偉いさんに見切りつけて自分たちで動きました。
彼らが目指すのは政府中心でなく、天皇中心でかつ軍閥(自分たち)が舵を切るもので、彼らは我らこそ、尊皇。天皇の周りの重臣たちを除き我らが政治をする!のモットーでしたが、
具体的な国策がなく、自分たちが天皇中心でやれば今より良くなるはず!という感じでした。
事が起こったのは雪の降る2月26日
血気はやる将校の中に、内心複雑な想いで安藤輝三大尉は漠然としたまま強行決行した現状では恐らく失敗するだろうと思うも、この作戦に参加している部下たちを見捨てることが出来ず、隊を率いて作戦を遂行します。
しかも交流し、安藤輝三大尉が大人物と認めた鈴木貫太郎氏の襲撃にあたります。
安藤輝三大尉は内心、他の将校たちが襲撃し他の重臣たちの命を取ってる中、他の将校たちがやるより自分が行けば、鈴木貫太郎氏を穏便に監禁でいけるかも、という様子があったかもしれません。(ウィキペディア参照)
この日、鈴木貫太郎氏は前日にアメリカ大使の夕食会に出席し、帰宅したのは夜の11時過ぎに侍従長官邸に帰宅したとあり、疲れた体を休めていました。
眠りが深い深夜の5時頃、突然の大勢の怒声と足音に鈴木貫太郎氏は飛び起き、納戸に置いていた刀を探しますが、そこに刀はなく、”ええい、このまま出てってやるか。”と思ったのか、そのままで、驚いている奥さんのタカ氏と共に襲撃者たちと対峙しました。
既に血の気走った将校たちに囲まれ、下士官風の男が「閣下でありますか?」と詰問すると、鈴木貫太郎氏は堂々とした風体で、「そうだ、私が鈴木だ。何事がおこってこんな騒ぎをしているのか、話したらいいじゃないか」と男たちをたしなめます。
しかし、既に事を起こし、他の重臣たちを血祭りにあげた彼らは聞く耳を持たず、「暇がありませんから撃ちます。」と言い放つと、
鈴木貫太郎氏も腹を括り、「じゃあ撃て!」と言い、ドンと構えます。
下士官たちは銃を遠慮なく鈴木貫太郎氏にむけて、何発も発砲し、鈴木貫太郎氏を血の海に沈めます。
この時、鈴木貫太郎氏は肩、左脚付根、左胸、脇腹に被弾して意識朦朧とする中、遅れてやってきた安藤輝三大尉にとどめを刺されそうになります。安藤輝三大尉は苦しめないよう介錯しようかと考えた時、たか氏は安藤輝三大尉の前に出て、
「待ってください!老人ですからとどめはお止め下さい!!」「どうしても必要というなら私が致します!」と鈴木貫太郎氏を必死で庇います。
安藤輝三大尉はたか氏の言葉に手を引き、他の者が手を出さないよう止めます。
「とどめは残酷だからよせ、鈴木貫太郎閣下に敬礼する。気をつけ、捧げ銃」と号令したか氏に向きなおり、「閣下の考えている事と、我々躍進日本を志す若者との意見の相違です。それで奥様にはお気の毒なことを致しました。」と静かに語ります。
たか氏は安藤輝三大尉にお名前を聞きたいと尋ね、安藤は自分の名前をたか氏に告げると「暇がありませんから。」とその場を後にします。
帰り際に女中部屋の前を通る際このまま生きていけないと安藤輝三大尉は、「こうして鈴木閣下を殺してしまった以上、自分も自決しなければならない。」とこぼしたそうです。
鈴木貫太郎氏の襲撃はすぐに知られ、早くも
“鈴木貫太郎、死す!!”と報が流れます。
今回はここまで、次回は三途の川から帰投した鈴木貫太郎氏をご紹介します。
文責:神奈川県 神奈川のY。