DOJOサポーター中四国支部、コチャコです。
あっという間に1月が去ってしまいました。
広島イベント開催は今年11月。
随分先のことのように感じてしまいますが、
春が来て夏が過ぎればあっという間です。
広島での初の公論イベント開催。
78年前、世界で初めて民間人の住む町に核兵器が投下された地、広島。
広島で生まれ育ち、1970年代から80年代にかけて子ども時代を過ごした
私や同世代の人々にとって、原爆の恐ろしさを学ぶ機会は学校でも度々あり、
原爆資料館は何度か遠足や個人でも訪れていました。
しかし、大人になってからは足が遠のき、その間も何度か展示更新がなされたようですが
2000年代に入ってから計画された展示更新と再整備事業により、2019年に改修工事が完了した
「広島平和記念資料館」には、一度も足を運んだことがありませんでした。
広島市中心部にある平和大通りに面した資料館前。
夕刻前の西日に照らされて吹き上げる噴水に虹が架かっているのが見えます。
資料館は本館と東館があり、入り口は東館1階にあります。
1月15日午後3時45分ごろ入館しました。昔は写真撮影が禁止されていたのを思い出し、
展示物の撮影はしませんでしたが、現在は個人利用であればスマホでの撮影はOKのようです
こちら↓
しかし、撮影しなくて正解だったかなと思います。
この展示は画像の予備知識なく、資料館で初めて目にした方がよく伝わると
思ったからです。できれば音声ガイド付きで。
東館にある入口からエレベーターを上がり、3階のフロアの壁一面に
被爆前の町並みのパノラマ写真。
そして中央には直径5メートルの広島市のパノラマ模型。
その模型にレーザープロジェクターのハイビジョンCGによって
一瞬にして爆心地周辺の町が破壊される瞬間を再現しています。
続く本館への順路には子ども連れの見学者への配慮の注意書きが。
昔も写真、被爆者、遺族の方々の提供された絵や遺品が展示されていましたが、大きく違って感じたのは、
それらが昔よりも大きく引き伸ばされて壁にぎっしり展示されていること。
続く大きな展示室には壁面に沿って現存する被爆建物の残骸が展示、中央には数々の遺品。
あの日、建物疎開作業をしていた中学生、女学生の遺品が多く展示されていました。
目にしたものを全部ご紹介できませんが、リニューアルされた資料館は、
多くの被爆体験を持つ方々が高齢化などで他界される中
訪れる人に被爆体験を疑似体験させることを意図していると強く感じました。
被爆前は戦争中でも自分たちと同じような日常の営みを送っていた人々を一瞬で落とした
その地獄の光景の中に今、自分が居るような感覚にさせられました。
このような兵器を、アメリカは日本人に対して核兵器の実験として使用したことに
言いようのない強い怒りを覚えずにはいられません。
小林よしのり先生が「戦争論」で描かれたように、
「小林よしのりライジング」でも折に触れて取り上げられているように
日本人は、一度はこの資料館を見ておくべきだと改めて実感しました。
このブログを書くにあたり、内容確認の為、下記の書籍を参考にさせていただきました。
志賀賢治著 「広島平和記念資料館は問いかける」 岩波新書
2020年 12月発行
著者の志賀賢治氏は広島平和記念資料館前館長で、現在は広島大学原爆放射線医科学研究所客員教授の方です。
資料館の歴史、展示について詳しく書かれており、見学後の確認にも役立つ書籍と思います。
私もまたじっくり最初から読んでからまた資料館を訪れてみようと思います。
実際、今回は時間的に本館しか見学できませんでしたので、やはり2時間は余裕をもって入館されることをお勧めします。
2月までは17時に閉館し、16時半からは本館に入館できません。警備の方が見学者に
「もう本館は入場できません」と言われていました。
近年の見学者の多さを考えるとちょっと閉館が早すぎかな💦色々事情はあると思いますが。
開館時間については広島平和記念資料館のホームページをご覧ください。
こちら↓
リニューアルされた広島平和記念資料館は確かに、原爆の惨禍を知らない世代に伝える力が
想像以上に練り上げられた資料館として生まれ変わっていると実感できました。
二度と核兵器が使用されてはいけないという思い。同時に軍隊を持ち、有事に備える。
これが相反する考えとして実質排除されている広島のメディアの空気。
原理主義でない、思考のアップデートが求められている緊迫した時代なのは確実だと思うのですが。