これを書いている今日、2月22日は母の命日
17年前の今日、母は腎不全から透析を受け9年で命の炎を消した。
60歳だった

その時私はアルゼンチンにいた。JICA南米の協力隊”日系社会青年ボランティア日本語教師”として
国の機関から正式に任務を受けて赴くのは初めてだった
長い母との葛藤の末、30代半ばになってやっと一人前と認めてくれての派遣だったと思っている

2003年2月はじめ アルゼンチン ロサリオ市
帰国を4月に控えた私に、珍しく母から国際電話がかかってきた。

「人生色々あったけど、今は本当に幸せでもう何も怖いものはない。病気も痛さも苦しさももうない。」

母は菩薩のようだった。
その時すでに「地上の人間」ではない「悟りを開いた」ような雰囲気だった
そして最後にこう言った

「、、、、、私はあなたに嫉妬していた。

でももう何も言うことはない、、、、、、
あなたは生きたいように生きていきなさい」

もうそんなに母は長くないな、と感じた。
でも何だかホッとした気持ちで私は予定していたアンデスへの旅に出た

容態悪化を知らせようと家族が留守宅に電話をかけたけれど、なかなか私はつかまらなかった
10日ほどの旅を終え、一足先に帰国する同期の送別会のために(家には寄らず)首都ブエノスアイレスへ。
有名なカフェ・トルトーニでタンゴ奏者を迎え話を聞いている最中に母危篤の知らせが飛び込んできた。
直ぐに飛行機に飛び乗ったものの到着したのはそれから2日後
もう母はこの世にはいなかった。
なかなか帰ってこない私を親戚は今か今かと待っていた。

母の体はドライアイスで冷え切っていた

葬儀が終わりしばらくして、近所に住むおばがやってきた

「・・・さぞかし親戚は私を親不孝だと思っているのだろう」
その言葉を制するようにおばは言った。

「みっちゃんに、
『早くさりちゃんに帰ってくるように言いなさい。これだけ具合が悪いのだから』
と言った。でもみっちゃんはね、笑ってこう言ったのよ。
『それはしない。さりはやっと自分のやりたいことを見つけて一人前にやりだしたところだから。私はそれを見守る
と。少なくとも私はさりちゃんが想像しているようには思っていない。みっちゃんはあなたをちゃんと認めて安心していたから。それをあなたに伝えたかった」と。

それを聞いて私は安堵した。と、同時にあの言葉
「あなたに嫉妬していた」
あれは一体どういう意味だったのだろうか?と思った。

私よりずっと頭がよく美人で町で人気者だった母
なぜ私に嫉妬?
母は40代に既に病気だった。思うようなことができないジレンマがあったと思う
でもその事なのか?

「あなたに嫉妬していた」

父は娘に決して言わないと思う
じゃ、母親は娘に皆そう思うのか?
残念ながら子どもがいない私には母の思いは推し量れない

「あなたに嫉妬していた」
これが母の最後の言葉となった

少なくともまだ嫉妬されるような私ではない
嫉妬するほど、羨ましいと思うほどの生き方をしなきゃと思う

そういうことか?

「そんな人間になれ!」   ということか!!

 

 

今回のゴー宣のテーマは「女性が輝く時代はくるか?」
「女性」とは?
を考える課題として胸に残る母のこの言葉を携えて
3月8日の道場に参加したいと思っている。

母と娘

あなたはお母様とどんな関係ですか?

亡くして思う

もしまだあなたのお母さんがご健在なら、、、、、
思いを聞いてあげて、、、
後悔のないように、、、

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第88回 ゴー宣道場 中四国 岡山開催!!
テーマ:『女性が輝く時代は来るか?』
3月8日(日) 午後2時~5時頃

締め切りはもう終わってしまいましたが、
当日LIVE放送があります
案内でたら予約しよう!
https://ch.nicovideo.jp/ch411/live
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